日本一の鴛鴦夫婦〖高峰秀子と松山善三〗

今手元に、斉藤明美著【高峰秀子が愛した男】がある、購入したのは2年前である

それが何故今頃("^ω^)・・・でこちゃん〈高峰秀子〉の映画を観てからである

〈カルメン故郷に帰る〉でなくて『喜びも悲しみも幾年月』の佐田啓二との夫婦愛から!


この映画で、でこちゃんに惚れ込んでしまった!夫役の佐田啓二に『お父ちゃん』と!

この響きに言葉では言い表せない感動を、演技だけではない何かが胸に響いてくる

そして!この本の事を思い出したのだ・・改めて読むと佐田啓二が本当の夫松山善三と

ダブってくるのだ、実際に夫・松山善三の事を生涯「お父ちゃん」と呼んでいた

だから「お父ちゃん」の響きに愛情がこもっているのだろう、でこちゃんが生涯愛した男

松山善三!この本には二人の五十数年の純愛が散りばめてある、ため息が出るほどの純愛

著者の斉藤明美さんは週刊文春の記者を20年以上してフリーライターに、そしてナント高峰秀子が亡くなる前年に二人の養女になるのだ

そんな著者だから、二人の息遣いが聞こえてきそうな生の声を伝えているのが凄い

二人の初めてのデートの事が書いてあるので、少し引用してみると・・

 ~高峰と松山が初めてデートしたのは、結婚する一年余り前、つまり昭和二十八年の夏

  というより晩夏だったのではないかと思われる。島の夏があまりに暑くスタッフが

  仕事にならないので、撮影をいったん中止して東京に戻り、「女の園」を撮った

  その時である。場所は、その頃銀座にあった高級フランス料理店「シド」、高峰が

  贔屓にしていた店で、のちに結婚式の披露宴もそこで行われた。~

そして、著者が当時の事を松山善三に聞いている

 ~「とうちゃん、着ていく洋服あったの?」

  「そのぐらい僕だって、スーツの一着ぐらい持ってましたよ」

  バカにしちゃいけないという感じで松山は答えた。

  「お勘定はどっちが払ったの?」我ながらいい質問だ。

  「もちろん高峰ですよ、僕なんか安月給なんだから払えるはずないよ」

  その頃、松山は農林省に勤める弟と一緒に、横浜郊外の農家の納屋、

  その二階を借りて同居していた。

  コース料理で、テーブルにはナイフやフォークがたくさん並んだ

  その時のことを、高峰は私にこんなふうに言った

  「そしたら、とうちゃんが言ったの、「あなたが先に食べてください、

   僕はあなたの真似をしますから」って、そして高峰は言ったのだ、

  「なんて素直な人だろうと思った」やはり私は映画を観ていた。

  既に七十歳を超えた高峰秀子の美しい笑顔が、半世紀も昔の彼女に戻って、

  そこだけスクリーンの中にあるような、そんな気持ちがした。

  拍手こそしなかったが、私は黙って高峰を見つめていた。

  その幸せそうな顔を見ながら、私は胸の内が熱くなった。

  高峰の映画は、観る者を幸せにしてくれる。

  高峰秀子と云う人間は、それよりももっと周りの人間を幸せにしてくれる。

  初めて高峰秀子と二人きりで食事をした時間を、松山は幸せな記憶として

  いつまでも忘れないことだろう。

【喜びも悲しみも幾年月】の中での高峰秀子の「おとうちゃん」の響きがこれ!

高峰秀子の素晴らしさを少しだけ紹介したが、つづきは又少しづつ紹介しよう

最後に高峰秀子の写真を・・写真見ているだけで胸が熱くなる!

上の松山善三の写真の横にある言葉を・・

 高峰秀子の言葉

  かあちゃんは小さい時から働いて、働いて・・

  だからきっと神様が、可愛そうだと思って、

  とうちゃんみたいな人と逢わせてくれたんだね。

結婚をした時の二人

夫・松山善三のその当時の給料、15000円ぐらい

妻・高峰秀子の映画一本のギャラ、百万円!