高田郁著〖晴れときどき涙雨〗は車内で読めないよ!

私が高田郁さんの本に接したのは「みをつくし料理帖」からですが、もう7年も前に!

本当に月日の経つのの早い事、【晴れときどき涙雨】の ”長いあとがき” を読んで
「みをつくし料理帖」までの御苦労を初めて知りました、でも!苦労と感じさせない!
持って生まれた、心根の温かさ!人が好きで好きでたまらん人間!そして嘘がない!
もちろん誇張も無い、今のままの《高田郁》が大好きです〈変わらんといてね!〉
さて!【晴れときどき涙雨】ですが、タイトルにありました通り車内読みはヤバイです
何故かわかりますよね、そう~泣いてまうんです!中には嗚咽に近い状態が突然に来ます

この本の中から【2008年1月】の〖忘れない〗を紹介しましょう・・・
 ~その日も激しい余震が続き、瓦礫から土煙が立っていた。
  阪神・淡路大震災から三日目、飲料水の確保は切実だ。
  傾いた家に老親を残し、水を求めて東奔西走する。
  漸くポリタンク一杯の水を手にして帰宅すると、
  母と父が転がるように出て来て、玄関を指示した。
  そこには、ペットボトルの水やカイロ、救急薬に保存食糧が
  山と積み上げられていた。
  母が目を潤ませて言う。
  「お前の留守中に、Sさんが訪ねて来てくれはったんよ。
  荷物置いて直ぐに帰らはったんやけど、途中で会わなかった?」
  Sは司法試験の受験仲間だった。法曹界を目指して切磋琢磨する
  同志ではあっても、たとえば「親友」と呼び合うほどに
  深い心の触れ合いを持ったことはない。そのSが何故?
  立ち竦む私に、父が震える声で言った。
  「あんなに小柄な女性がこれだけの荷物を背中に負うて、大阪から
  来てくれはったんやで。まだ電車かてここまで通ってへんのに」
  そうそう手紙を預かっていたわ、と母ポケットから封筒を取り出す。
  受け取って開くと、便箋の代わりに一万円札が重なって入っているのが見えた
  震える手で数えると、十枚あった。私たち三人は声も無く、
  棒立ちになって、そのお金を見つめた。
  「これは受け取れない。返して来る」
  内ポケットに封筒ごと捻じ込むと、私は家を飛び出した。
  深い交わりは無くとも、Sが塾講師の時給で細々と生計を
  立てていることを知っていた。
  辛うじて電車の通っている駅まで追いかけたがSを見つけることができず、
  とぼとぼと戻る途中、大きな余震があった。立っていられず、その場に座り込む。
  こんな危険な中を、岩のような荷物を背負ってSは訪ねて来てくれたのだ。
  でも一体何故?私は、幾度も彼女と自分を結ぶ絆について考えた。
  もしかしたら、と私は気付く。親しさの度合いなど関係ないのではないか。
  志を共にする友人が被災したーSにとって、手を差し伸べる理由は、それで充分
  だったのではないか。そう思い至って漸く、私はSという友の本質に気付いた。
  「ありがたい」「申し訳ない」と思うと同時に自分が恥ずかしくてならなかった。
  後日、漸く連絡が取れた際、心からの礼を述べる私に、Sはさらりとこう言った。
  「あなたが私なら、同じことをしたと思う」
  この友の信頼を裏切らない生き方をしたい。その時、強くそう思った。

こんな内容のエッセイが、これでもか~!これでもか~!と45篇も入っているのと
最初に云った、”長いあとがき〈高田郁のできるまで〉” と、もう一つ
文庫版 あとがき〈それからの日々〉・・・この一冊で高田郁の事が分かる仕組みに!
心根の優しい人には、そのような人たちが集まる、全ては彼女の人柄からでしょう!

こんな写真がありました、ナ・ナント!京都の書店やんか!早く教えてんかいな!
一度サイン会で、お会いしとう~おますな!
今!高田郁著の【あい】と云う本を読んでいます、素晴らしいの一言です