第二の人生を考える『奔走老人』著者・谷川洋さん

今日の聖教新聞の12ページ目に、こんな記事が載っていましたので!

 ~定年後の ”第二の人生” に何をするか=アジアの山岳地域で少数民族のための

  学校建設に携わり、その奮闘を『奔走老人』〈ポプラ社〉につづった、

  認定NPO法人アジア教育友好協会〈AEFA〉理事長の谷川洋さんに聞きました

との見出しで始まっているこの記事に感動しました。

この谷川洋さん、1943年生まれで、なんと!私と同い年ではありませんか・・しかも

谷まで一緒とは、一緒は嬉しいのですが、人生にこれだけの違いが出るとは情けない!

~AEFA〈アエファ〉の活動内容について教えてください~・・の問いに

 私たちが学校建設を推進するのは、アジアで主に政府の支援が届きにくい

 少数民族が暮らす山岳地域です。そこは経済的発展から取り残された地域。

 学校数は不足し、教員の不在や、教材の不備もあり、教育環境は劣悪です。

 学校があっても、経済的な事情で通えない子供も数多くいます。

 こうした地域で、教育環境の改善と村の発展を支える活動をしています。

 AEFAの建設から12年。これまでにベトナム、タイ、ラオス、中国などで

 220校以上の学校を建設しました。

 ”途上国に学校をつくる” 国際支援は、それほど珍しいものではありません。

 ただし ”つくったら終わり”で、数年後には学校として機能していなかったり、

 廃校になっていたりするケースが少なくないことを知りました。

なるほど・・つくるだけで終わり・・と云うのは、作ってやった!と云う、

云わば売名行為的な、自分の名前が知れ渡ったらそれで良いその場しのぎ・・か?

今までのそんな行為を谷川さんは指摘していて・・次の様におっしゃっている

 校舎だけでは「学校」といえません。子供と先生がいて、それらを見守り、

 維持していく ”力” が必要です。その仕組みとして、私は ①学校建設

 ②住民参加、③国際交流、の3層構造をAEFÀの支援の理念に掲げました。

 私たちの学校づくりは村人との共同作業です。一般的に寄贈の校舎は傷めば

 放置されがちですが、AEFAが建てた学校は今も廃校ゼロ。

 住民の強い愛着によるものです。

 また現地の学校と交流する日本の学校は通算95校に。私たちが現地の様子を

 日本の学校で語る ”出前授業” は、延べ約500回を数えるまでになりました。

現地の子供たちが一緒になって学校つくりを

こんなに素晴らしい学校が・・

~学校つくりに取り組むようになったきっかけは?~

 この問いには、中二階は歩まず・・?すなわち定年延長で65歳程度まで働く事

 それをしないのは、定年後は自分で何かを始めたいと思っていたから。

 色々と悩んでいた時に「アジアで学校つくりをしないか」と云う話・・

 転職して公益財団法人で働く、商社の後輩からの誘いだった、その条件は

 「教育に情熱があること」「難題や障害にめげないこと」「英語が話せること」

 の三つ。話を聞き終えて「目の前にいるよ」と即決で返答していた。

~第二の人生で感じてきたことは何ですか~

 私はAEFAを設立して、退屈とは無縁の生活になりました。

 自分も含めて会社員だった人ほど、特別な技術がなければ役立つ能力に乏しい

 ことを実感。それを自覚するがゆえに、新たな一歩を踏み出せない人が多くいる

 ちなみに、定年前の肩書は役に立たないでしょう。私も何かの役に立つと思い

 取っておいた、商社マン時代の名刺に助けられたことは、ほぼありません。

 仕事だけのつながりと云うものは、第二の人生ではあっさりと切れてしまうもの。

 私の場合、多くの人が関心の高い「教育」を舞台にしたことで、あらゆる世代の人と

 つながることができ、心から幸せをかんじています。

世の中・・まだまだ捨てたもんでない、とよく言われますが本当ですね!

凄い人がいっぱい居る・・うれしいですね!・・私の出来ること?・・

私は詩吟を50年やって来て、人様に恩返しできること?・・

それは、自分しか出来ない事!?やっぱり心を癒して差し上げること?かな・・

大きいことはできませんが、私の身近な処で・・心がけたいと老人ホームへの慰問

は続けていきたいと思っています、私の詩吟や歌謡曲、民謡などを聞かれた人の笑顔!

これを生きがいに私は第二の人生をこれからも歩んでいきます・・

谷川洋さん、益々の御活躍、お祈りしております

素晴らしいお話をありがとうございました