〖慶光天皇〛が追尊天皇とは・知りませんでした

今日は〈6月3日〉天気も良いので天皇陵巡り日和!家内の運転で六つの御陵巡りを!

その内、最初に行った【慶光天皇蘆山寺陵】〈ろざんじのみささぎ〉は正式な天皇で無く

帰ってから調べて分かったのです!・・・124代の天皇陵の資料を調べても無いはず

正式には第何代目と云う歴代天皇の中には入ってないのですが・・・

明治時代に入って追尊〈追加〉されたので追尊天皇とも云うらしい、何か異様な感じで

これ!陵と違って、お墓やんか!と思って心に引っ掛かっていたのです、納得です!わ

まあ・・・写真を見てください

目の前が京都御苑なんです、ここ【蘆山寺】は紫式部邸としても有名なお寺です

中に入ると正面に紫式部の歌碑が出迎えてくれました、その横に御陵の名が刻まれた碑が

参道を進んで行くことに、何かちょっと・・違和感がありました!("^ω^)・・・

参道の突き当りを左折すると、まさに御陵の入り口が・・ここからでも何かが違う?・と

前まで来て、エエ~御陵と違うやん!お墓やん!と("^ω^)・・追尊天皇とはね~

歴代の天皇と違うと、御陵まで違うんですね、それでも天皇の名称が???

いやぁ~事情は知りませんが、何故こんな事に・・寂しい御陵?でした









映画〖喜びも悲しみも幾年月〗を59年ぶりに観る!

思い起こせば!私の中学の時だから、もう59年も前に観たことになる

昨日、京都文化博物館のフィルムシアターで観てきました、素晴らしかった!

      

二十四の瞳のでこちゃん〈高峰秀子〉も良かったが、私的にはこちらが好きです

 

上の灯台がファストシーンの観音崎灯台   

佐渡にある弾崎灯台にはこの映画の佐田啓二と高峰秀子の銅像が建っている

灯台守!今もこの映画のように住んで居られるのだろうか?おそらく無人だと思う

本当に大変な仕事である、船の航路を守ると云うことがこれ程大変な事とは!

この映画の素晴らしいことは、主人公の夫婦が本当に明るくて、苦労を感じさせない所

高峰秀子が、夫役の佐田啓二に『お父ちゃん』と云うセリフが自然で実にいいのだ

私の手元に一冊の本がある、斉藤明美著『高峰秀子が愛した男』である。

これが将に、映画の夫役の佐田啓二と実際の夫【松山善三】がダブるのである

それは!映画と同じように、夫【松山善三】と事を ”お父ちゃん” と呼んでいる事

正直言って、今までこの本読まずにきた、3年と5か月前の出版である・・・そして!

その2年前の2010年に高峰秀子は亡くなっている

この本をじっくり読んでから、ブログにしたいと思っている次第である

さて!映画の方ですが、制作の前年の1956年に雑誌掲載された実在の灯台長の妻の手記

を木下恵介監督自身が脚本を執筆したとある、そして赴任する灯台はすべて現地ロケ

主題歌の素晴らしさも改めて感動して聞いた、実に効果的にこの歌が流れてくる

上映時間も159分と云う、一部・二部構成の長編であるが、アッという間に終わった

息子を亡くし、娘も結婚して海外へ行ってしまい、結局二人きり!

そんな二人がラストで、手に手を取って、次の灯台に赴任するシーンで又泣けた!

悲しい涙でなくて、温かい心からの涙を流しながら映画は終わっていく

いや~159分間こころが温まりっ放しの映画でした

皆さんの機会があれば是非鑑賞されては如何でしょう


我が京都〖天皇陵〛の数日本一!全国の半数あるね~

今更のように京都に生まれて、京都に育った喜びを噛みしめています

今日は詩吟の教室が1時から3時まであって、そのあとブログを入れて

5時前に家内の運転で金閣寺の近くにある〖三条天皇北山陵〗へ行く

一時間で行って帰れる有り難さ、天皇陵巡りをし始めてつくづく感じる

これ、他府県に住んでいたら全く無理と云う事に!京都バンザ~イ

と云う事で・・・三条天皇陵へご案内致しましょう







金閣寺を50メートル程北に上がった閑静な住宅街に、ひっそりと三条天皇陵はあります

道路の角に位置していて、前の石段を上がると【北山陵】〈きたやまのみささぎ〉がある

周囲が民家と云う場所で、・・・でも御陵に負けないくらいの大きな家が立ち並んでいる

右側後ろに民家の屋根が見えている

右上に、民家と林の間に比叡山が顔を覗かせているのが・・分かりますか?


〖三条天皇北山陵〛の文字が刻まれています・・その上に民家の屋根が・・・

他府県の方なら信じられないのでは!車で一時間!往復の時間と写真撮影を入れてですよ

では三条天皇御陵印を押しましょう

前回のトリプル天皇陵の御陵印を押すの忘れてましたので

分かりますか?圓乗寺陵・圓教寺陵・圓宗寺陵の順です