菅原道真を右大臣に大抜擢した宇多天皇の御陵へ

私は詩吟を始めて本年で50周年を迎えます・・それに伴って不思議な事が

と云うより、この年を待っていてくれたのかも知れません

その一つが、天皇陵巡りに至った出来事・・いや~出会いかも知れません

それが前回書きました、長慶天皇陵とお弟子さんの言葉 ”御陵には朱印がある”

この二つの事柄が私の吟道50周年の記念にと、今まで待っていてくれたんですかね~


私が詩吟の世界に入った、元々の切っ掛け、菅原道真の「九月十日」でした・・

私の伯父が酒盛りになると必ず吟じたのがこの漢詩だった、〈戦地で覚えたらしい〉

この時〈小学生〉の私がまさか詩吟の世界に入るとは・・勿論思ってもいません!

ですから詩吟の世界に入る前から、菅原道真の名前は心に沁み込んでいたのです

今回 ”長慶天皇陵” が切っ掛けで御陵巡りを思い付いた時、道真さんの大恩人からと

心に決めておりましたので、宇多天皇の御陵に行ったので御座います


愛車と云っても自転車ですが、それも ”ママチャリ” 私が乗るので ”パパチャリ”!

京都と云う所は本当に有り難い処で、しかも我が右京区は天皇陵のメッカ!ですから

右京区にあるほとんどの御陵を自転車で回れるんです・・・で今回も自転車で出発です

行きは良い良い・・とは逆で、行は上り坂なので、帰りが良い良いになるんです


我が家から20分で仁和寺に到着、でも上り坂で息も絶え絶えです

途中で自転車を草むらに置くことに、勿論邪魔にならない処へ

自転車を置いて暫く車道を歩いていくと目的の石段が右側に・・100段のありました!

100段と続いて70段の石段を登り切ると、大内山陵の参道の表示が、これに心強くして

その先に!参陵道の石の表示が、でもまだ依然として上り坂、

やっと、平坦な道に出て来たと思ったら、前方に御陵らしき風景が坂の下に見えてきた

何度も変えているんですね!新しい木に【宇多天皇・大内山陵】と何故か胸が熱く・・・

ここから更に下へ、樹木に囲まれた山の中の御陵でした

先ずは、参拝をして道真さんに成り代わり御礼の言葉を、右側に陵名が刻まれています

いや~宇多天皇さんの御陵へ参拝出来るとは、ひと月前までは思っても居なかったこと

本当に有り難いことです、

今回の最後に宇多天皇陵【大内山陵】御朱印を御覧頂きましょう

この参拝のあと、更に山道を登り、一条・堀河両天皇のダブル陵、そして

後朱雀・後冷泉・御三条の三人のトリプル天皇陵に行き着いたところが竜安寺

そこから自転車を取りに戻り、わら天神の近くの花山天皇と二条天皇陵へと

これは又、近いうちに御覧頂きます、ありがとうございました


天皇陵に御朱印があったんです

それは【長慶天皇陵】発見から始まりました

京都の嵐電〖嵯峨駅〗の向かい側にあったんです

今まで何度も何度も通っていながら全く存じ上げませんでした

それが、私〖谷藤松凬〗の吟道50周年の年に巡り合う不思議さ!

しかも私の大好きな【南朝】の天皇で後亀山天皇の兄というではありませんか

何かが〖松凬〗の周辺で蠢いている・・・御陵巡りをしなさいとの声が!

しかもこの話を我が ”吟道松凬流” の貴船支部でお弟子さんに云った所・・・

『ご存知でしたか?御陵で御朱印を頂けるのを・・』全く寝耳に水でビックリポン!

打ち出の小づちのように、長慶天皇さんから御朱印がこぼれ出て来たのです

先ずは、その辺を写真でご覧下さいませ!

この前を何十回、何百回と通っているのに全く気が付きませんでした、一番奥の左に・・

静々と奥へと砂利道を歩んでまいりますと「長慶天皇・嵯峨東陵」の文字が・・・

〈さがひがしのみささぎ〉と読みます

中々立派で新しい御陵でした、それもそのはず、南朝の頃の資料が乏しくて98代天皇と

認められなかったそうです、明治天皇の一声で認められて、大正時代に入ってから

第98代天皇として正式に認められたので、御陵の新しいのは当たり前の事なんです



カメラの望遠で接近してみると、長慶天皇嵯峨東陵の文字が刻まれているのが分かります

そして、問題の御朱印です、これからも天皇陵シリーズとして

御朱印と共に御覧頂きますので宜しく

先ずは、御陵巡りと御朱印の事から始めました