さすが大きい桃山御陵〖明治天皇〗と朱印保管所

御朱印を求めて〈地図で見ると桃山御陵内にある〉探しに行ってみたら・・・

石段が230段! (;゚Д゚)エエ~これを登るのかいな?このとき逆の方向に参道のあるのを

全く知りませんでして、何しろお恥ずかしいことですが73歳になるまで来た事がない!

乃木神社は45年前に来ているのですが〈詩吟の全国大会で優勝した時に前後二回〉

と云うのは、この時に吟じたのが乃木希典の【金州城】だったので優勝祈願優勝御礼

でも、明治天皇の御陵には・・・今回が初めて、この階段には・・・引いてしまいました

御朱印の在り処を確認するには、230段登らなくては("^ω^)・・・徒歩ホホ~?

では!その時の模様を写真で追ってみましょう・・左の地獄の?石段が登れば極楽でした

石段の数・・・数えながら黙々と上がりましたよ

登るときは地獄でしたが、上がってきたら極楽でした、素晴らしいの一言です

先ずは、明治天皇に恭しく最敬礼、深く深く頭を垂れました

このスケールの大きさは、〈堺の仁徳天皇陵は別格として〉日本一かと!

そして肝心の御朱印の保管場所・・・ありました

桃山陵墓監区事務所の表札を見たとき、思わず\(^o^)/バンザイ・・・してませんけど

何と事務所の入ったところの机の引き出しに入っているのを、教えていただく

この写真は二度目に来た時に写したものなんです

最初は下見に行ったわけです、で・・逆の方向に参道があることを知りまして

二度目はそちらから、もちろん朱印帳を持参して・・

その時の写真です、こちらが正式な?入り口やったんですね

昭憲皇太后陵と、二回目の時に見つけた、桓武天皇陵た次回に致します










後小松天皇始め12人の天皇による雑居陵

前回は後亀山天皇嵯峨小倉陵だけしかアップ出来なくて("^ω^)・・・

さてそれでは、早速その雑居陵に向かいましょう・・

この場所も探すのに苦労致しました、本当に御陵への道先案内が無いのですよ

車で30分ぐらい、ウロウロしてやっと辿り着きました

予備知識が全く無かったので・・びっくりポンでした、見てください!

凄いでしょう、何故この様になったか?別に関連性のある天皇ばかりでも無さそうですし

12人も詰め込まなくてもよさそうですのに!6番目に後小松天皇の名前がありました

では、その御陵の方を見ていただきましょう

今までの御陵とは少し違った趣の御陵ですよね

その上この御陵の横をJRが通っていました

12人も入って居られるのでか知りませんが、この景色騒がしい感じでしょう

後亀山天皇の〖嵯峨小倉陵〛とは全く環境が異なりました、ここ名称は〖深草北陵〗

もちろん御陵が建立された時は周りに何も無くて、電車も走っていなかったでしょうけど


なんか!釈然としない気持ちで御陵をあとにしました

次回は御朱印の保管場所をご覧いただきます

最後に12人の天皇陵〖深草北陵〗〈ふかくさきたのみささぎ〉の御朱印を






あの一休さんの父君・後小松天皇陵は12人の雑居陵!

南朝最後の天皇【後亀山天皇】を語るとき必然的に出てくるのが【後小松天皇】!

所謂、後亀山天皇から【三種の神器】を後小松天皇にお返しして五十数年続いた

南北朝時代にピリオドが打たれ、京都に朝廷が戻ってくる

だからこの二人の天皇陵へは同じ日に行きたかった?・・まずは後亀山天皇陵から

近くまで行っていながら・・左に見えてる《タント》でこの二つの道に泣かされた

「後亀山天皇嵯峨小倉陵》の文字が刻まれているのが分かりますか?

砂利道を奥へ奥へと、進んで行きますと

急に広く開けた場所が出てきました・・向こうに石の鳥居が・・・

やっと辿り着きましたよ、〈さがのおぐらのみささぎ〉と読みます

ここの石碑の方が、刻んである文字が読みやすいですね

参道に植わっていたモミジの新緑が眩しく感じるほどで・・・

御陵って本当に心が洗われますね


今から詩吟の教室が〈1時から3時〉始まりますので

稽古が終わってから、後小松天皇陵に向かいます

では三時までお待ちを・・12人の雑居陵ですよ

お楽しみに・・・・