京都の冬の「底冷え」、夏の「蒸し暑さ」は盆地の中でも最悪の「京都盆地」にある
四方山に囲まれている・・と云いたいが「東山」「北山」「西山」はあっても・・
「南山」は無いのだ、南は伏見から大阪に抜けていて全くの「盆地」ではないのに!
「ほんまに・・暑つおすな~」である、今回は盆地の話ではありませんので・・・!
では本筋の「東山三十六峰」と話に戻すことに!
【ふとんきて寝たる姿やひがし山】
江戸時代の俳人、服部嵐雪〈1654~1707〉が鴨川から東山を望んで詠んだ句である
平安京は全く新しい人工の都だという。
平城京70年、長岡京10年、で都を捨てて京都に新京を・・桓武天皇の仕事であった
京都桃山御陵にある桓武天皇・柏原陵〈かんむてんのうかしばらのみささぎ」である
またまた、寄り道を致しました・・・三十六峰へ戻りましょう
東山三十六峰と云う名称は、どうも中国の崇山〈すうざん〉三十六峰からきているらしい
崇山の名前は平安時代の文学に現れている。
江戸時代の元和九年〈1623〉後水尾天皇が南禅寺の以心崇伝らに命じて編集した漢詩集
【翰林五鳳集】に僧蘭坡が「六々諸峰ことごとくこれ花」と詠んでいる
後水尾天皇を始め14名の天皇が入って居られる泉涌寺【月輪陵】つきのわのみささぎ
実は東山三十六峰は平成の現在でもはっきりとは確定していないと云う
第一峰の比叡山を三十六峰に入れるかどうかさえ異論があるらしい。
東山三十六峰を有名にしたのは江戸後期の儒学者で歴史家の頼山陽〈1780~1832〉だ。
雅号も三十六峯外史と名乗って東山と鴨川の美を漢詩に残している
晩年、頼山陽が住まいした山紫水明処である
20年ほど前に我々、吟道松凬流で見学させて頂き頼新先生にお越し頂いた事が懐かしい
頼山陽の三男、頼三樹三郎の名前はこの三本木通りにある山紫水明処で生まれたから
ちょっと寄り道を・・・先日詩吟の会をこの近くにある【くに荘】で行った。
その時に私が吟じたのが・・菊池渓琴の【三樹酒亭に遊ぶ】、これに自作の和歌を・・
幾松の面影浮かぶ三本木
維新の調べか松凬の声
烟濃やかに山淡くして晴沙に映ず
日落ちて春楼細雨斜めなり
朦朧三十六峰の寺
箇々の鐘声緩やかに花を出ず
と吟じさせて頂いた、この菊池渓琴と云う人和歌山の有田の出身で慶応年間に京都へ
頼山陽を始めとして、藤田東湖、佐久間象山、梁川星巌、大塩中斎などと交友あり
晩年は江戸にて隠棲生活、悠々自適の暮らしで明治14年に亡くなっている
この菊池渓琴が自分の雅号に三十六峰の倍、七十二連峯と名乗っているのが面白い!
寄り道ばかりの東山三十六峰でしたが、最後に第一峰から三十六峰までの山々を・・
第一峰、 比叡山 ~魔力秘めた仏教の母山~
第二峰、 御生山 ~神の生まれたる場所~
第三峰、 赤山 ~庶民親しむ苦行の山~
第四峰、 修学院山 ~名園に溶け込み嘆声~
第五峰、 葉山 ~観音堂抱く閑静の地~
第六峰、 一乗寺山 ~歴史織りなした小丘~
第七峰、 茶山 ~京都文化発祥の地~
第八峰、 瓜生山 ~勝軍地蔵移転で異名多く~
第九峰、 北白川山 ~地蔵遷座移ろう山名~
第十峰、 月待山 ~銀閣寺庭園の借景に~
第十一峰 如意ヶ岳 ~大の火文字で精霊送る~
第十二峰、 吉田山 ~街に囲まれ緑こんもり~
第十三峰、 紫雲山 ~京の街並み望む念仏の丘~
第十四峰、 善気山 ~法然の心ふもとに抱き~
第十五峰、 椿ヶ峰 ~神宿る気高さ太古のままに
第十六峰、 若王子山 ~同志社ゆかりの人々眠る~
第十七峰、 南禅寺山 ~峰の霧変幻の美演出~
第十八峰、 大日山 ~ふところ深い銀座コース~
第十九峰、 神明山 ~紅葉の頃美しさ格別~
第二十峰、 粟田山 ~野鳥の声梢のすぐ先に~
第二十一峰、華頂山 ~四季うたう聖地~
第二十二峰、円山 ~寺院境内が公園に~
第二十三峰、長楽寺山 ~吸い込まれるような魅力~
第二十四峰、双林寺山 ~文人墨客誘う芸術の拠点~
第二十五峰、東大谷山 ~心和む樹林の参道~
第二十六峰、高台寺山 ~眼下に京のまちを一望~
第二十七峰、霊山 ~絶景 本堂から市内一望~
第二十八峰、鳥辺山 ~ゆかり深い葬送の地~
第二十九峰、清水山 ~霊水求め 老いも若きも
第三十峰、 清閑寺山 ~文学古典に登場する名所~
第三十一峰、阿弥陀ヶ峰 ~頂上には秀吉の廟所~
第三十二峰、今熊野山 ~紀州の熊野権現を勧請~
第三十三峰、泉山 ~歴代天皇の墓所抱く~
第三十四峰、恵日山 ~罪障を消滅 東福寺の山号~
第三十五峰、光明峰 ~かっての栄華 面影なく~
第三十六峰、稲荷山 ~五穀豊穣が祈りの原点に~
以上が東山三十六峰の各名称です
最後に東山三十六峰と云えば忘れられないのが・・・
東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時、突如として起こる剣戟の響き・・・
この名セリフでお別れです・・・又のお楽しみを!