長編ドキュメンタリー映画【健さん】の試写会を観て

昨日、京都宝が池プリンスホテルにて特別試写会がありました!
高倉健・・・【健さん】のすべてが凝縮されているだけでなく
心から【健さん】を愛してきた人たちの熱い熱いメッセージで綴られている
健さんの活躍の幅の広さを、改めて知りました。
上のポスターの中の俳優から監督、またまた一般の人たちまで登場する
あの「ブラックレイン」で共演したマイケル・ダグラスのインタビューが印象的!

映画の中でマイケルを呼び止めるシーンでニコッと微笑む健さん!
マイケルは今でもそのシーンが忘れられずにいると云う。
たまらない笑顔なのだ!健さんの人間性の本心を見たように思った

他にも「レッドクリフ」の監督ジョン・ウーの熱い言葉も心に残る

日本からは、あの名作【幸福の黄色いハンカチ】の山田洋二監督や

鉄道員〈ぽっぽや〉の降旗康男監督などのコメントで健さんの心根に触れている
最後の最後まで【健さん】の人柄が浮き上がって来て、思わず【健さん】!と・・
この他ではあまり知られていない高倉健像が一般の人たちによって紹介される!
もちろん〖江利チエミ〗も登場するし、実の妹さんのコメントには泣かされる
ちょっと残念なのが、字幕が少し読みずらいのが気がかりだ・・・
8月20日〈土〉からロードショーで全国の映画館で上映される
是非!健さんフアンだけでなく!観て頂きたいと念願する
フアンでもない私が、改めて健さんのフアンになったのですから
健さんのスチールを中心に見て頂いて・・・終わりにします

有難う御座いました・・・改めて【健さん】に心から感謝とご冥福を



東京都知事選が残した!温度と音頭

いや~終わってしまえば一人勝ちの上、初の女性都知事との新聞の大見出しを残して!
この選挙期間中の東京都の温度はどのぐらいまで上がったのでしょうね・・・

小池百合子・・・2、912、628

増田寛也・・・・1、793、453

鳥越俊太郎・・・1、346、103


と云う具合でした!候補者は21名だったとか、実際に温度の上がった候補は上の3名!
当初、三番手の鳥越俊太郎がトップを走っていたのでは?
女性問題や演説の内容が頓珍漢で段々と尻すぼみ!あれだけ上がっていた温度も急降下
いち早く都民の熱が下がったという感じでした
増田寛也も当初から余り温度の上がらない人!のようで結局上がらず、下がらずで・・
結局!最初から話題性と知名度の高さで、東京都の真夏の温度を維持したままでした
この世界の温度なるものは、急に上がると、冷えるのも急と云う事か?
でも!何時もの事ではあるが、相手の貶し合いだけは見苦しい、投票率の温度に影響が!
さて!もう一つのおんど・・・こちらは温度でなくて音頭である
盆踊りの時期だけに、まさしく ”東京都知事音頭” である。
徳島じゃないけど! 踊る阿呆に見る阿呆であったのではなかったか?
実際に踊ったのは、上の三人で、踊らされたのが東京都民と云う事になるのでは
鉦や太鼓が鳴り響くのなら良いけれど、金や財布が鳴り響いたのでは盆踊りでなくなる!
これだけ派手に、盆踊り大会を行ったのだから、小池新知事さんに一言申し上げる!
周りのヤカラドモに決して踊らせられない!都知事になって下さい
猪瀬元知事の様に知事になったとたんに、天狗になって態度までクソ生意気にならない事
舛添元知事の様に東京都のお金と自分のお金を一緒にしないでね!
みんな最初はわかっちゃいるのだが・・周りに乗せられると、ついその気になるのです
小池さんは、兵庫県芦屋の生まれ、あの大震災を忘れずに人間味のある知事さんに・・
どこやらの党のように、先生と云わないと返事もしないような知事にはならないでね!
あなたの温度が冷めないように、あなたを見ている都民の温度が下がらないように
素晴らしい都知事になられることを心よりお祈りいたしております



高田郁著〖晴れときどき涙雨〗は車内で読めないよ!

私が高田郁さんの本に接したのは「みをつくし料理帖」からですが、もう7年も前に!

本当に月日の経つのの早い事、【晴れときどき涙雨】の ”長いあとがき” を読んで
「みをつくし料理帖」までの御苦労を初めて知りました、でも!苦労と感じさせない!
持って生まれた、心根の温かさ!人が好きで好きでたまらん人間!そして嘘がない!
もちろん誇張も無い、今のままの《高田郁》が大好きです〈変わらんといてね!〉
さて!【晴れときどき涙雨】ですが、タイトルにありました通り車内読みはヤバイです
何故かわかりますよね、そう~泣いてまうんです!中には嗚咽に近い状態が突然に来ます

この本の中から【2008年1月】の〖忘れない〗を紹介しましょう・・・
 ~その日も激しい余震が続き、瓦礫から土煙が立っていた。
  阪神・淡路大震災から三日目、飲料水の確保は切実だ。
  傾いた家に老親を残し、水を求めて東奔西走する。
  漸くポリタンク一杯の水を手にして帰宅すると、
  母と父が転がるように出て来て、玄関を指示した。
  そこには、ペットボトルの水やカイロ、救急薬に保存食糧が
  山と積み上げられていた。
  母が目を潤ませて言う。
  「お前の留守中に、Sさんが訪ねて来てくれはったんよ。
  荷物置いて直ぐに帰らはったんやけど、途中で会わなかった?」
  Sは司法試験の受験仲間だった。法曹界を目指して切磋琢磨する
  同志ではあっても、たとえば「親友」と呼び合うほどに
  深い心の触れ合いを持ったことはない。そのSが何故?
  立ち竦む私に、父が震える声で言った。
  「あんなに小柄な女性がこれだけの荷物を背中に負うて、大阪から
  来てくれはったんやで。まだ電車かてここまで通ってへんのに」
  そうそう手紙を預かっていたわ、と母ポケットから封筒を取り出す。
  受け取って開くと、便箋の代わりに一万円札が重なって入っているのが見えた
  震える手で数えると、十枚あった。私たち三人は声も無く、
  棒立ちになって、そのお金を見つめた。
  「これは受け取れない。返して来る」
  内ポケットに封筒ごと捻じ込むと、私は家を飛び出した。
  深い交わりは無くとも、Sが塾講師の時給で細々と生計を
  立てていることを知っていた。
  辛うじて電車の通っている駅まで追いかけたがSを見つけることができず、
  とぼとぼと戻る途中、大きな余震があった。立っていられず、その場に座り込む。
  こんな危険な中を、岩のような荷物を背負ってSは訪ねて来てくれたのだ。
  でも一体何故?私は、幾度も彼女と自分を結ぶ絆について考えた。
  もしかしたら、と私は気付く。親しさの度合いなど関係ないのではないか。
  志を共にする友人が被災したーSにとって、手を差し伸べる理由は、それで充分
  だったのではないか。そう思い至って漸く、私はSという友の本質に気付いた。
  「ありがたい」「申し訳ない」と思うと同時に自分が恥ずかしくてならなかった。
  後日、漸く連絡が取れた際、心からの礼を述べる私に、Sはさらりとこう言った。
  「あなたが私なら、同じことをしたと思う」
  この友の信頼を裏切らない生き方をしたい。その時、強くそう思った。

こんな内容のエッセイが、これでもか~!これでもか~!と45篇も入っているのと
最初に云った、”長いあとがき〈高田郁のできるまで〉” と、もう一つ
文庫版 あとがき〈それからの日々〉・・・この一冊で高田郁の事が分かる仕組みに!
心根の優しい人には、そのような人たちが集まる、全ては彼女の人柄からでしょう!

こんな写真がありました、ナ・ナント!京都の書店やんか!早く教えてんかいな!
一度サイン会で、お会いしとう~おますな!
今!高田郁著の【あい】と云う本を読んでいます、素晴らしいの一言です