「高倉天皇陵」の上に「小督の局」の清閑寺が!粋やね!

二年前にも来てるんですが、その時は清閑寺が目的だったんです、まさか高倉天皇陵が!

そうなんです、その時凄く感動したんです、高倉天皇の寵愛を受けていた小督の局、

高倉天皇には平清盛の娘、建礼門院徳子が妃として入内しています、しかし小督の局を

片時も傍から離すことはありません、これを知った清盛の怒りが怖くて、小督は逃げます

嵐山の渡月橋の近くにひっそりと・・、高倉天皇は寂しくて毎日を悶々として暮らします

小督の局の居場所を薄々感じた天皇は仲国と云う笛の名手を連れ戻しに嵐山へと・・

この時一旦は宮中に戻るのですが、再び清盛の逆鱗に触れ、今度は清閑寺へ追いやられ

剃髪を受け、二度と戻ることなく清閑寺でひっそりて生涯を閉じるのでした・・

だから!粋な計らいやな~と感動したのです、小督の局の居た清閑寺の前に御陵をとは!

その辺も含めて、写真を見て頂きましょう、二時間前に写してきて早速ブログに・・・

この駐車場まで家内に送ってもらいました、待たしておいて私は石段を上がって御陵へ

右の石段を上がると、小督の局の清閑寺へ行けます、目と鼻の先なんですよ~

六條天皇とのダブル陵なんです、

周囲を緑に囲まれて、清々しい場所にあります、正面の枝で正面が見えないのです

下から写すと、どうしても一本の木が邪魔をして正面の門が写らないので、清閑寺から。

では私も、高倉天皇の遺志を心に、小督の局のいる清閑寺へと登っていきましょう

石段を登り切った処に、「歌の中山 清閑寺」表札があります

小督の局の供養塔が門を入った処にありました

西郷南洲と僧月照はこの寺をよく使っていたらしい


ここの本堂で、清盛入道の手によって、小督の局は剃髪をさせられるのです

向かい側から撮った写真です、左の高倉天皇陵と石段上の清閑寺は、これだけの距離です

高倉天皇と小督の局はこの世では中々思うようにはいきませんでしたが、天国では・・

毎日逢瀬が叶う処に・・本当に粋な計らい・・でも!高倉天皇の遺言に小督と同じ場所と

あったそうです、七夕さんより、甘いお話しでんな~・・・

清閑寺から清水寺までの山路を ”歌の中山” と・・周りの静けさとは裏腹な・・

そうそう! まったく関係ありませんが、近畿は今日、梅雨明けだとか!













泉涌寺の【月輪陵】から東福寺の仲恭天皇【九条陵】まで

泉涌寺の『月輪陵』に行くまでに「後堀河天皇陵」と「孝明天皇陵」へ先に行ったので

メインの月輪陵が後まわしになってしまいました、スケールの大きさでは群を抜いてます

大伽藍を横に通り抜けると、一般の人は入って来ないような突き当りに細い道が・・

上の写真は右側の白壁の塀の角になります、中へ進むとこのような広い空間が・・

ざっと数えただけでも15人の天皇が入って居られる、超雑居御陵です、では御陵へ・・

今までの御陵とは何処となく雰囲気が違いますね、将に天皇陵と云った感じがします

何か近寄りがたい感があります、あの桃山御陵の大迫力とは違った感じの迫力を感じます

今回のもう一つの目的が、御陵印を頂くことでした、京都は桃山御陵と此処だけなんです

数は桃山御陵の半分ぐらいでした、これで京都の御陵印はすべて頂きました・・・

左上から順番に書いてある通りに御陵印が並んでいます、87代四条天皇の所が雑居陵で

「月輪陵」〈つきのわのみささぎ〉になっています・・さて次に行くのが隣の東福寺!

御陵印の処でした道を聞いたのですが、やはり元のバス停に戻った方が分かりやすいと!

泉涌寺と東福寺の間にある第一日赤病院を通過して上の写真の東福寺参道へ来ました

途中に通天橋なる渡り廊下のような橋があります、有名なのは向かい側にある通天橋です

まわり殆どがモミジの木なんです、全国でも有数の紅葉の名所です・・ネットからですが

紅葉の季節に是非お越しくださいね~・・すんまへん寄り道しまして!御陵へGo~

東福寺が過ぎてしまった!・・と思ったころ仲恭天皇の案内の石碑が・・この奥らしい

九条陵らしき文字が刻んであるのが読めました・・更に上なんです、上って左をまだ上る


前方右側に微かに石の鳥居らしきものが見えませんか??

やっぱり!鳥居でした、「九条陵」にしては少し小さくてイメージが違う?

やっぱり!仲恭天皇の御陵ではありませんでした、すると!まだ上るの??

暫く行くと、仲恭天皇の文字が・・前方に御陵のオーラが漂ってきましたよ・・

やはりあの石段がそうやったんです、もう間違いありません

【仲恭天皇九条陵】〈ちゅうきょうてんのうくじょうのみささぎ〉に到着です

でも更に奥へ、突き当り左なんでしょうね!

先程のとは比べ物にならない立派な御陵でした

【仲恭天皇九条陵】と刻んであります、いや~泉涌寺からここまで結構歩きました

本当に久し振りに沢山歩いて足に豆ができました、猛暑でなくて助かりました

山道を登って来たという感覚がないのですが、結構上まで来てるのでは・・帰り道で!

これだけ登って来たんです!中心より少し右に京都タワーが白く見えるでしょう・・

最後に今日は祇園祭の山鉾巡行の日でした、巡行前に少し雨が降った程度で良かったです

綾傘鉾の後援会に入ると、巡行も気になって、テレビで観ていましたら何と棒振り踊りが

二回も〈くじ改めの場所と四条河原町の辻回しの場所〉中継してくれてました

本年は、土曜日の宵山、日曜日の巡行と八年に一回しかまわって来ないのも

殆ど雨らしき雨も無く、最高の人出になったはず、おそらく新記録が!

仕事の関係で「綾傘鉾」と縁が出来て最高でした、三日間連続で祇園ばやしを聞いたの

初めてでした、しかも吟道50周年の年に!!感謝!感謝!の四日間でした、有難う~!

























泉涌寺には、天皇陵がいっぱい、その一【孝明天皇陵】他

泉涌寺に行くのは実に、30年ぶり??それぐらい御無沙汰をしていました!

これも天皇陵巡りに嵌まったお陰?かな~、道程も結構ありました・・先ずは!

泉涌寺道で市バスを降りて山手に向かって歩くと1分少々で『御寺泉涌寺』の入り口に

ところが!ここからが本番やったんですよ、泉涌寺の伽藍の姿は5分?後に現れました

今から目指す「後堀河天皇陵」の名前が無い?ひょっとしたら ”ほか” の中かな??

やっと伽藍の姿が!でも「月輪陵」は後まわしにして、このまま左の道を真っすぐに

やっと前方に御陵らしき雰囲気が漂ってきました

「御堀河天皇陵」の表示が、でもまだ石段がありますよ

正式には【後堀河天皇觀音寺陵】〈ごほりかわてんのうのかんのんじのみささぎ〉です

石段を上がった処かと思いきや、更に石段がありました、環境は抜群で鶯が啼いてました

市バスを降りてからだと可成りの道のりでした、深々と参拝をして!次の御陵へと・・

元の登り口まで降りて来ました、次の御陵は幕末動乱期の「孝明天皇陵」です

泉涌寺の敷地内なんでしょう?広大な敷地ですね!

やっと御陵の中に入って来ました、左側の正面が!

【孝明天皇後月輪東山陵】〈こうめいてんのうのちのつきのわのひがしやまのみささぎ〉

孝明天皇は在位21年でしたが、この中にはペリーが浦賀にやって来たり、日本中が

パニックに陥り、引き続いて安政の大獄、最後には天皇の妹〖和宮〗の降嫁までと

そして36歳の若さで崩御されている、暗殺説まであると云う・・・

しっかりと参拝してまいりました【月輪陵】は次回に致します